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今回、Animationweek編集部は、日本とフランスの両国で2Dアニメーターとして活躍、東京に国際色豊かなアニメーションスタジオを設立など、国境を超えたアニメーション業界の架け橋として活躍されているEddie Mehong氏にお話を伺いました。なお、インタビュアーはDrifa Benseghir氏です。

ヤピコアニメーションの経営者として

Animationweek (AW): 自己紹介をお願いします。

Eddie Mehong (EM): こんにちは、Eddie Mehongです。私は日本でヤピコアニーメション(*1)を経営しています。ヤピコアニメーションは、2人の友人と一緒に3人でフランスに設立した会社の日本支社として2年前に設立しました。ヤピコアニメーションでは、ヨーロッパと日本から集った才能溢れるアニメーター・アーティスト・デザイナー・クリエイターが、日本・ヨーロッパ・アメリカなどのプロジェクトの第一線でアニメーションを制作しています。

*1: ヤピコアニメーション: http://yapiko.fr/?lang=en


ヤピコアニメーションのshowreel

AW: ありがとうございます。Eddieさんご自身について少しお伺いしたいのですが、ヤピコアニメーションでのEddieさんの経営者としての役割を教えて下さい。会社のビジネス全てに関わっていらっしゃるのでしょうか?

EM: 私が会社の業務全てに関わろうとしたら、会社が一番重視している「質の高いアニメーションを作る」というミッションに集中できなくなってしまいますから、制作現場の最前線で活躍される方々の雇用を主な仕事にしています。これは、実写映画を制作する際のチームメンバーの選定と似ているかもしれないですが、私達はプロジェクト毎に新しいチームを構築します。チームメンバーの大きな変動は基本的には無いのですが、プロジェクトに応じて個々人のスケジュールやスキルを熟慮してベストメンバーを選んでいます。つまり、基本的な私の仕事は、チームメンバーを集めて、クライアントに、「この人達が最高の作品を作れるベストメンバーです」と説明することです。日本で、フリーランスのアニメーターの方々と一緒に最高の作品を作り上げるには、幾つかのルールに則って仕事を進める必要がありますし、容易ではありませんが、それが私のヤピコアニメーションでの役割です。

アニメーターという職業への興味の芽生え

eddie0002AW: なるほど。ところで、Eddieさんがアニメーション業界に進まれた理由やきっかけは何ですか?

EM: そうですね。誰しも子供の時に将来の選択を迫られる時がやって来ますよね。かなり昔の話になりますが、私の場合は幾つかの選択肢があって、その中の1つがアニメーションでした。私はあまり成績が良い方ではなく、学校でいつも絵を描いていたので、周囲の人達から「数学とかの勉強をするよりも、絵を描くこととか何か好きなことに集中した方がいいのかもね」と言われていました。どうやら、周りの人達に「綺麗だね」と思って貰えるレベルの絵を描けていたみたいで、先生にも「Eddie、これいいね。授業中に絵を描くのはいいことではないけど、でも、君の絵は素敵だよ。たぶん、勉強ではなく絵の道に進むべきだと思うよ 」と言われ、それで私も「ふうむ。なるほど。確かにそれは一理あるかも」と先生に答えて、絵を描くことに集中しようって決心しました。

それから、絵を描く職業やその機会について色々と調べ始めて、ディズニーのアニメーターになれれば、絵を描くことを仕事にできるし、割と良い生活スタイルを送れることを知りました。と同時に、彼らの描く絵にとても感動して強く惹き付けられました。「なんて素晴らしい絵を描くことが出来る人達なのだろう!どうやってキャラクター達に命を吹き込んでいるのだろう?」ってね。で、「よし、これをやってみよう!」と心に決めて全力で努力するようになり、アニメーションにも物凄く興味を持つようになって行きました。始まりはこんな感じです。

EM: それから私は予備校に通い始めました。コミュニケーションと絵の描き方に特化した学校だったこともあり、当時の私には自分が具体的に何をしたいのかまでは分かっていなかったのですが、そんな折、ディズニーの背景アーティストのChristophe Vacher氏が学校に来て、ディズニースタジオが本当に素晴らしい労働環境で、最高のアニメーションを作ることが出来るよう、アーティストには労働時間の使い方に裁量があることを説明してくれました。また、カンファレンスも同時に開かれて、私はそれにも参加したのですが、本当に感動しました。「素晴らしい。僕が仕事にしたいのはまさにこれだ!」って。私は、カンファレンスが終わった後にVacher氏をコーヒーにお誘いして、どうやってディズニースタジオに就職するのか、どうやって本やデモリールを作るのか、リクルーターに自分自身を印象付けるには何をすべきかなど、更に詳細に教えて貰いました。そして、彼が「まずはGOBELINS (*2)のようなアニメーション学校に通った方がいいよ」とアドバイスしてくれたので、私は受験の準備を始め、数年後にGOBELINS入学しました。

*2: GOBELINS (GOBELINS l’école de l’image)はフランスのパリにある名門アートスクールで、なかでもアニメーションコースは特に有名です。

AW: まずは大好きな絵を描くことがきっかけとなり、色々な人達との出会いやアドバイスに導かれながら少しずつアニメの世界に入って行ったということですね。

EM: はい。私のアニメーションに対する情熱に少しずつ火を付けて行ってくれた人達がいたのです。

Mehong氏のプロとしての最初のプロジェクト

eddie0003AW: 続いて、プロのアニメーターに、また、スタジオの経営者になられていく過程についてお伺いしたいのですが、GOBELINS卒業後、どのようにキャリアをスタートされたのですか?

EM: GOBELINSの生徒は皆、最終学年の1年間を通して、数名の実際にプロとして活躍している人達と面談する機会が用意されていて、彼らから作品の評価やアドバイスを貰うことができます。私はプロデューサーと美術監督に面会したのですが、プロデューサーが「卒業後にうちで一緒に働かないか」と誘ってくれました。でも、担当する仕事がアニメーションではなくキャラクターデザインだったので、「私はアニメーションの仕事にとても惹かれているので、たぶんお断りすることになると思います」と話して、2ヶ月間だけの仕事でしたが、もう1つの、「Code Lyoko」というアニメーションシリーズ企画のパイロットフィルムの制作に携わる仕事の方を引き受けました。当時の私にはアニメーションのプロジェクトの方が魅力的だったのです。2ヶ月後に仕事が無くなった私は、改めてプロデューサーに連絡して、フランスのMarathon Animation Studioにキャラクターデザイナーとして就職、フランスのテレビアニメーションシリーズ「Martin Mystery」、「Totally Spies! 」そして「Team Galaxy」のキャラクターをデザインしました。その他にも、それ程有名ではないですが、幾つかの小さいタイトルも担当しました。

現場のプロフェッショナルからの学び

AW: フランスと日本ではアニメーション制作の知識とスキルの学習方法に違いはありますか?

EM: 私自身の経験から言うと、アニメーターとして最も成長できる機会が得られたのは、いつも、現場で実際に活躍しているプロの皆さんと一緒にいる時です。GOBELINSのとても良かったところですが、学校が全ての学生に現場のプロを指導員として用意してくれて、私の場合、ディズニースタジオにて3回、合計で2ヶ月間ものインターンシップを経験することができました。インターン先でプロの方々と一緒に働くことで、それはもう凄い早さでアニメーションを学び、アニメーターとして非常に大きく成長することが出来ました。動きの作り方・割り・タイミング・伸縮の表現など全てのアニメーションのルールを、現場の偉大なアーティストやアニメーターの方達から直接学べたことは、私にとって本当に意味のある重要な経験になりました。もちろん、学校でアニメーションの基本を学ぶことも非常に大切です。でも、私の場合、アニメーターとして最も成長できたのは、現場でプロの方達と一緒にいた時、そして、彼らと話をしていた時であり、それは日本に来てからも同じでした。

日本式のアニメーション学習法

EM: 私は日本のアニメーション学校を数校訪問したのですが、卒業生の方達から「私達は学校で学んだのではないよ」と伺ったので、日本では学校には通わず、日本のアニメーションスタジオでの学習機会を活用することにしました。2003年、偉大なアニメーターの大塚康生氏がChristophe Ferreiraと私の2人を日本に招待して下さり、テレコム・アニメーションフィルムで働けることになったのです。私はChristopheと一緒に、大塚先生という最高のアニメーターから、動画や原画などからイメージボード・絵コンテまで日本のアニメーションの全てのステップを基本から学ぶことができました。

AW: イメージボードとは絵コンテのことですか?それともレイアウトのことですか?

EM: 絵コンテでもレイアウトでもないです。でも、レイアウトももちろん習いましたよ。イメージボードとは企画をビジュアル化した物です。例えば、もし、新しいプロジェクトを立ち上げるとしたら、まず、イメージボード(ストーリーの中で重要なポイントをイラスト化した物)を幾つか作成して、プロデューサーを始め何人かのプロジェクトメンバーに、完成版がどのような感じになるのか伝える為に見せる必要があります。

AW: それは、カラースクリプト(*3)とは違うのですか?

*3: アニメーション作品全体の色彩、ライティング、感情、雰囲気をマッピングした物

EM: カラースクリプトではないです。イメージボードは投資家にそのプロジェクトが最終的にどのようになるのかを見せるための非常に大切なステップで、カラースクリプトの前に行います。大塚先生は、日本ではどのようにイメージボードを制作して、どのように発表して、どのように作品として発展させていくのかを教えて下さり、それはとても楽しく興味深い学びでした。そして、私達2人は、3ヶ月間の見習い期間の後、テレコムスタジオにて正式にフルタイムの動画スタッフとして7ヶ月間働きました。

日本のアニメーション業界との出会い

eddie0004AW: 大塚先生とはどうやって出会えたのですか?私の記憶だと、以前、大塚先生はフランスに来てマスタークラスの先生をされたと思うのですが、その時ですか?

EM: はい。まさにその時です。

AW: では、その時にEddieさんとChristophe Ferreiraさんは大塚先生に出会い、大塚先生が、「おお、彼ら2人は素晴らしい。日本に連れて行かないと」みたいな感じですか?

EM: 少し経緯をお話しますね。日本のスタジオジブリで働いた最初のフランス人であるDavid Encinas氏が大塚先生をフランスに招待して、選ばれた10から15人の学生が大塚先生のマスタークラスで学ぶことが出来たのです。私もその1人に入れて幾つか講習を受けましたが、大塚先生の滞在期間がわずか1週間だったので、あっと言う間に終わってしまった感じです。

AW: 場所はパリですか?

EM: はい。パリのForum des imagesで講義が行われました。マスタークラスの授業中に大塚先生が「もしこの中に興味のある人がいたらですが、私のスタジオに何人か招待出来るし、私も引き続き指導できるので、もっとちゃんとしたトレーニングを日本で続けることができますよ」と話されて、それを覚えていた私が、マスタークラスのカリキュラムが全て終わった後に生徒全員で大塚先生を囲んだ夕食の席で、「先生がおしゃっていた、私達を日本のスタジオに招待して下さるお話はその後どうなりましたか」と聞いたんです。そうしたら、「 おお、そうでしたね。う〜ん、たぶん、ほんの数人、2、3人だったら招待出来ますけど、それが上限ですね。だから、まずは誰が日本行きに興味があるのかを確認して、それから選考しないといけないですね」とおっしゃり、で、実のところ、生徒の中で日本でのトレーニングに興味を持っていたのはChristophe FerreiraとThomas Romainと私の3人だけでした。Thomasは他のプランが出来たので、私とChristophe Ferreiraの2人だけが先に日本に行き、1年後にThomasも来日したのですが、彼は「Ōban Star-Racers」というアニメーションのプロジェクトがあったのでトレーニングには参加しませんでした。

日本でアニメーションスタジオを立ち上げるまでの道のり

AW: 大塚先生と一緒に来日できるなんて最高のスタートですね。それから、どんなプロジェクトに参加されてきたのですか?先程、フランスでは「Martin Mystery」、「Totally Spies!」、それから「Team Galaxy」の制作に関わったと伺いましたが、日本に来てから参加したプロジェクトについて教えて下さい。

EM: 日本に来て最初のプロジェクトはテレコムスタジオの「無人惑星サヴァイヴ」で、私は動画を担当しました。私は日本に1年間滞在した後、フランスに戻ってMarathon studioに5年間勤務したのですが、2007年に再び来日しました。Thomasがまだ日本にいて私を呼んでくれたのです。私は株式会社サテライトで働き、まず、テレビシリーズの「しゅごキャラ!」の仕事をしました。そして、その次の仕事は、私が物凄く参加したかった「マクロスFrontier」のプロジェクトでした。私は、子供の頃に観ていた「超時空要塞マクロス」が本当に大好きで、「マクロス」の仕事をすることは私の夢だったのです。

EM: 当時、私は契約社員として働いていました。毎月契約更新をしないといけませんでしたが、日本に滞在している限り他のスタジオの仕事をすることが許可されていました。関わった全てのタイトル名までは覚えていませんが、「バスカッシュ!」などの作品を手掛けました。基本的にサテライトの仕事をしていましたが、株式会社マッドハウスの「キャシャーン Sins」にも参加しましたね。

サテライトで働き始めて2年程経った頃、フランスのAnkama(*4)という会社で働いているフランス人が、日本にアニメスタジオを開設する為に来日しました。彼は、日本でのスタジオ開設を手伝ってくれるフランス人スタッフを探していて、私は彼と一緒にAnkama Japanを設立することになりました。2009年のことです。

*4: Ankama (http://www.ankama.com/en) はビデオゲーム、コミック、アニメーションなどを制作・販売しているフランス企業です。

AW: その後、ご自身のアニメーションスタジオであるヤピコアニメーションを日本で立ち上げられたわけですが、決断の動機は何だったのでしょうか?

eddie0005EM: 2009年にTot(AnkamaのCEOのニックネームです)と一緒にAnkama Japanを設立した時、既に私は数本のフランス企業向けアニメーション作品のディレクションを複数の国で経験していましたし、ヨーロッパのアニメーション業界にて充分な経験とキャリアを積んでいました。助監督の経験はもちろん、テレビシリーズの監督もしていました。そして、日本のアニメーション業界でも良い経験を積んで来ていました。ですから、Ankama Japanは、私にとってヨーロッパでの経験と日本での経験の両方を活かすことが出来る大変素晴らしい機会になりました。今までに無い新しい作品を作り出すために、両方の経験から導き出したアイデアをミックスしました。また、私はAnkama Japanでの仕事を通して、日本のアニメーターとプロデューサーの方達と本当の意味での仕事のお付き合いをすることが出来て、日本のアニメーション業界がどの様になっているのか、その全てを良く理解することができました。

Ankama Japanは2〜3年程業務を続けましたが、フランスのAnkama本社が日本の方達とのコミュニケーションに苦慮していて、フランスと日本の間で表現の面など幾つか上手く行かなかったことがあり、スタジオを閉鎖することになりました。Ankamaの日本スタジオを閉じた後、私はAnkama Japanで働いていた人達を雇用してヤピコアニメーションを立ち上げました。現在、一緒に働いている主要メンバーは、当時Ankama Japanから雇用したスタッフ全員と、最近、私達に合流した数人の新しいメンバーです。

AW: ヤピコアニメーションは世界で最も個性的なアニメーションスタジオの1つだと思います。こんなに国際的にクリエイターが集って制作しているスタジオは他に無いと思いますし、凄く意味があることだと思います 。

EM: 現時点ではそうですね。

AW: もっと多くの人にヤピコアニメーションのことを知って欲しいです。

[2ページ目に続きます]

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